直江兼続といえば真っ先に思い浮かぶのが「愛」の文字をあしらった兜。
大河ドラマの「天地人」で、とても有名になりました。
さて、「愛」の文字をあしらったこの兜には、どんな意味が込められているのでしょうか?
直江兼続の兜に掲げられている「愛」はなぜ生まれたのか?
この愛の文字は愛宕権現か愛染明王の頭文字をとったものだといわれています。
この2人の神様は、軍神といわれているからです。
また、戦(いくさ)上手といわれていた上杉謙信の影響が大きいともいわれています。
兼続は5歳の頃に実家をでて、上杉家で育ちました。
その時、上杉家を率いていたのが謙信だったのです。
兼続は幼いころから、謙信の活躍を身近で見ていてとても尊敬していたのです。
謙信が仏教を深く信仰していたことから、
兼続も深く影響され仏教の兜をかかげたのだと考えられています。
上杉謙信が毘沙門天を信仰していたので守護仏としていて、
「毘」の文字を旗の印などに使用していたことからもよくわかりますね。
では、さて自分はどうしようかと考えた兼続。
愛宕権現は、仏教と日本古来の信仰が混ざって生まれた神様です。
もとになっているのは「勝軍地蔵」とう神様です。
勝軍地蔵には、平安時代初期の武士・坂上田村麻呂と共に戦ったという伝説があるので、
武芸の神様として信仰を集めていたのです。
愛染明王は仏教の神様です。すべてのものを仏教に導くという役割をもっていて、
欲を力に変える神様としても有名なので、どんなことにも打ち勝てる武芸の神様なのです。
どちらにも「愛」の字が入っていますよね。
兼続は兜に愛の字をあしらって、戦いの場で武芸の神様にあやかろうとしたわけなのです。
とはいっても、愛宕権現と愛染明王のどちらの説が正しいのかというと、
どちらもこれといった決め手はないのが正直なところです。
しかし、尊敬していた謙信は、自分のことを「毘沙門天の生まれ変わりだ」と言っていたこと。
また、毘沙門天は愛染明王と同じ仏教の武神だということ。
また、戦(いくさ)の勝利を愛宕権現に祈願していたとうことを考えると、
兼続がどちらの神様を選んでもおかしくはないということになりますね。
そして、最後に愛民説です。
兼続は、庶民が豊かになれば国も豊かになると考えていて、
庶民のためになる政策をたくさん行いました。
当時も、慈愛・仁愛という言葉は使われていたということですし、
慈愛という言葉は、謙信が示した大将の心得のなかにも表されているので、なくはない!
ということになりますね。
余談ですが、大河ドラマの天地人は、この愛民説が採用されました。
子供の日に武将の兜を飾る意味
武将にとって鎧や兜は、自分の身を守るための大切な道具とされていたのは
言うまでもありませんが、武将の象徴としての意味もあるとても尊いものだったのです。
そもそも日本は武家社会でしたから、この風習が元となっていて、
現代では鎧兜が「大切な男の子の身体を守る」ものという意味になりました。
病気や交通事故などから子供を守ってくれるように。
という願いを込めて飾ることということなのです。
・コチラの記事で兜を飾る意味を解説しています↓
こどもの日になんで兜を飾るの?子供にもわかりやすい「こどものひ」
直江兼続の兜に込められた意味と豆知識 まとめ
直江兼続の「愛」の所説と、
子どもの日に兜を飾る意味についての記事でしたが、いかがだったでしょうか?
武将が鎧や兜に特徴のある飾りを施し、それらに込められた意味があるように、
その意味を知った両親が我が子へ思いを託す。
今も昔も子を思う気持ちは変わらないということですね!
そして、直江兼続の兜の「愛」という文字も、
「愛民節」
個人的には、こちらの説を一押ししたいと思います!
「努力」「忍耐」「辛抱」「出世」「健康」昔と今、
意味は違うけれど思いは同じということです。